
3人目が生まれてから、毎日があっという間に過ぎていた頃、私の心は疲れ切っていました。
育休中だったので仕事はしていませんでしたが、毎日夕方になると生まれたばかりの三男を抱っこして、長男の保育園と次男の保育園へお迎えに行っていました。抱っこヒモの中にいる小さな三男に「苦しくない?」とか「寒くない?」とか小声で話しかけ、抱っこヒモからちょこんと出ている小さな足を、両手で握りしめながら保育園に急ぐ。お迎えの時間に遅れないように…。
長男の保育園に着いて一緒に帰る準備をしながら、頭の中はすでに次男のお迎えのことでいっぱい・・・。兄弟別々の保育園で、しかも次男の保育園は少しでも遅れると延長料金が発生するので、どうしても間に合うように行かなくてはいけなくて。遅れるとまた、お迎えすらまともにできない自分に嫌気がさしてしまうから。
急ぎ早に長男を連れて次男の保育園に着くと、次男が嬉しそうに駆け寄ってくる。抱っこしている赤ちゃんにかまわず膝の上に乗ってくる次男の相手をしながら、先生の話を聞く。その間も、私の横でつまらなそうに立っている長男の表情が小さなプレッシャーになったりして、今度は先生の話が早く終わらないかと考えてしまう。
いつもいつも、次のことばかり考えて焦ってました。
焦ってはイライラして、簡単なことすらできない自分に嫌気がさしていました。
2ヶ所の保育園のお迎えが終わると、3人の子供と家に帰ってくるだけでも精一杯でした。ようやく家にたどり着くと、もうここで1日を終わりにしたいと毎日思いました。
ただただ、疲れ果てていました。
そんな、途方もない日々の中、ふと見つけた詩に涙が止まらなくなりました。
きっと私と同じように、今の日々が救われる方がいると思います。
「ママの毎日」
独身の頃
ヒールの靴が好きだった
お酒は苦手だったけれど友達と過ごすお酒の場の楽しい雰囲気が好きだった
好きな音楽はミスチルでいつもウォークマンに入れて好きな時に聴いていた
電車の中でゆっくり本を読むのも好きだった
お風呂では半身浴をして
美容院には2ヶ月に1回は必ず行っていた
お化粧するのも好きだった
1人で行く映画館が好きだった
流行りの雑誌を買い
流行りの曲を聴き
流行りの服を着て
流行りの場所へ好きな時に出かけた。
そんな私は 今
泥だらけのスニーカーを履き
子どもたちの着替えやオムツが入った大きなバックを肩にかけ
ちゃんとした化粧もせずに
髪を一つにくくり
毎日
子どもたちの手を繋いで公園へ散歩に行っている。
聴く曲はミスチルからアンパンマンマーチに変わった。
眺めているのはファッション雑誌から
子どもの母子手帳や幼稚園からの手紙に変わった。
考えていることは
今日の夕飯のメニューと
長女が幼稚園から帰ってきたあとのおやつ、お風呂、夕飯の流れの確認。
今日の天気で洗濯物が乾くかどうかと
明日の長女の遠足が晴れるかどうか。
最近眠くなると激しくぐずる長男を昨日つい怒ってしまったから
今日は早く寝かせてあげよう。
今日は怒らないでおやすみをしよう。
そんなこと。
毎日 押し流されるように迫ってくる日常があるから
キレイに片付いた部屋も
大の字で朝まで眠れる夜も
ゆっくり塗れるマスカラも
なんだかもう思い出せない。
そう。
思い出せないから
私たちは つい 忘れてしまうのだ。
この毎日が
ずっと続かないということを。
1人でゆっくりお風呂に入れるようになったら
湯船の中 あなたと向き合い数を数え
柔らかく響いたあなたの声を
私は思い出すのでしょう
1人で好きなだけ寝返りをうち眠れるようになったら
どこまで寝転がっても隣にいないあなたのぬくもりを
私は探すのでしょう
好きな音楽のCDを好きなだけかけられるようになったら
この部屋の中に溢れていたあなたの笑い声を思い出して
私は泣くのでしょう
好きなだけお化粧に時間をかけられるようになったら
私の洋服をひっぱり
膝の上によじ登り
私のやることなすことをお邪魔してくるあなたのその小さな手を思い出して
私は泣くのでしょう
好きなだけヒールが履けるようになったら
笑い転げるあなたを追いかけて走り回り
泥だらけになって遊んだあの空を思い出して
私は泣くのでしょう
自分とパパの洗濯物だけを回す日々が訪れたら
砂まみれの靴下も
おしっこを失敗したズボンも
牛乳をひっくり返したシャツも
洗濯カゴにないことを知って
私は泣くのでしょう
あなたの足音がしない部屋の掃除機をかける日が訪れたら
粉々になったビスケットの食べこぼしも
小さなおもちゃの部品も
あなたの細い柔らかい髪の毛も落ちていないことを知り
私は泣くのでしょう
1人で好きなことを
好きな時に
好きなだけ出来るようになったら
どんな時も「ママ」「ママ」と私を呼び
どんな時も私のことを探しているあなたの姿を思い出して
私は泣くのでしょう
一体いつまであるのかな
一体 いつまでここにいてくれるのかな
そして
そんなことを考えているうちに
また 今日も終わってしまった。
私たちの日常は「子どもが側にいる『今』」だから
子どもから離れて1人になれた瞬間が特別に感じて
好きなことを堪能できる喜びを噛み締めるけれど
でも 自分の人生を考えてみたら
特別なのは
本当は 子どもが側に生きているこの毎日の方。
でも 私たちはそれを忘れてしまう。
なんだか ずっと続くような錯覚を起こして毎日を過ごしているけれど
大変に思えるこの毎日に
数えきれない 愛しい が散りばめられていることを
私たちは いつか知るのです。
子どもたちが
この世に生まれてから今日まで
ママとパパのために
全身を力いっぱい使って思い出を撒き散らしてくれていたことに
私たちは 過ぎてから気付くのです。
ママの毎日は
ママでいられる毎日です。
私たちは この命が尽きるまで
どんなに子どもと離れていても子どもを思い、心配し、愛し続ける 子どもたちの母親だけれど
でも 子どもたちの側で『ママ』でいられることの出来る日の
なんて短いことかを
いつか思い知るのでしょう。
今日もあなたは
屈託のない笑顔で振り向き
「ママ!」と言って
両手を広げて こちらに飛び込んでくる。
忘れるものか。
絶対に。
絶対に。
あなたの前髪を切り過ぎて笑った昨日を。
あなたを怒って自分に涙が出た今日を。
あなたの寝相に笑った夜を。
あなたが摘んでくれたシロツメクサの白さを。
あなたに許された私を。
あなたがいてくれるこの毎日を。
私は 絶対に忘れない。
ミスチルも好きだけど
Eテレの歌に感動することを知った
ヒールも好きだけど
スニーカーの安心感が好きになった
自分のことが一番大切だった
そんな私に
自分の命よりも大切だと思える存在がこの世にはあると教えてくれた子どもたちに
心から 感謝を。
私が見たのはSNSの記事でしたが、たくさんシェアされているようなので、いろいろな所で見かけることがあるかもしれません。この詩を初めて見た時、これは自分のことかと錯覚するほど驚き、とても心に響いたのを覚えています。そして、ママという境遇や想いをここまで丁寧に文字にできることが、ただただ素晴らしいと思いました。
私はこの詩を印刷したものをお守りのように持っていて、たまに読み返しています。まるで未来の自分が今の自分に宛てた教訓のように、すっと心に入ってくるのがとても不思議です。この詩を作り、そして共有してくれたLICOさんに、感謝です。
そしてまた、1人でも多くのママの気持ちが救われますように・・・。